人前で吟じると6倍上達する



昨年末に開催したナチュラル詩吟教室の発表会の打ち上げで、一人ずつ簡単な自己紹介と感想を話してもらいました。


そこで、私も気づかなかった、衝撃の事実をピシャリと指摘された方がいました。正直ヒヤリとしました。今でもゾクゾクします。


私は発表会がある度に「詩吟は人前で吟じると6倍上達するんですよ」という言葉をみなさんにかけてきました。これを言うと「そうですか!じゃあやってみます!」 とやる気になるのです。


「なんで6倍なんですか?」ともよく訊かれますが、私の師匠が言っていたので間違いないです。とか適当なことを言ってごまかしています。実際はどうかというと、ほぼ確実に上達します。


なぜか?


発表会に向けて練習をたくさんするからです。 たとえ発表会本番がうまくいかなくとも、その後は確実に上達しています。びっくりするくらい。これがなんとも楽しいのですね。


先ほどの打ち上げの話に戻ります。ある生徒さんが、簡単な自己紹介のあとに言いました。


「先生が『人前で吟ずると6倍上達する』と言っていた謎が解けました!」


(な、な、な、なんだって!?)


「それは発表会の前になると、先生は6倍厳しくなるからです!」


一同笑いとともに、なるほど〜、と言った感嘆の声。思い当たる人多数ということでしょうか。一番思い当たるのは私自身です。しまった!バレたか。という後ろめたさがあるからです。


実際、発表会前は厳しくなります。ナチュラル詩吟教室は ハード・ナチュラル詩吟教室になります(なんのこっちゃ)。ただ安心してください。こわくないです。


でもちょっとしたルールあります。それは「発表会までに完成できない場合は出れない」ということです。これが厳しい。私自身も断腸の思いです。生徒さんが出たくても出させません。教える側が、そこまで教えられなかった責任問題でもあります。だから非常につらい。


どうしてそんなひどいことをするのか、と思われるでしょう。実はこれも私が師匠から教わったことなのです。特に昇段試験では、初心者の審査は甘く、ほとんど受験するだけで初段をとれるのですが、さすがにあまりにもできていなければ落されます。


これも責任は教える側にあります。できてない人に受けさせるとは何事か、ということになるのです。「本人が楽しんでいればいいじゃない」 とか、「自分が責任を負いたくないだけなのでは」と思われるかもしれません。確かにそうかもしれません。しかし、これを野放しにするとどうなるか?


詩吟○段とか、詩吟歴うんじゅう年といった立派な勲章をお持ちの方の詩吟を聞いてみると、あれあれ……?これって上手なの? ということになりかねないのです。


しかも、詩吟を聴く機会なんてめったにありませんから、初めて聴いた人は「これが詩吟なんだ〜。へー」となる。最悪の場合、「ちょっと聴いてられない」「ムリ」(こっそり逃げる)。サザエさんで言うところの、マスオさんのトランペット。ジャイアンのリサイタル。ちょっと違いますけど似てますね。


詩吟の場合は、いわゆる"伝統"と"段位"があるので褒めなきゃいけない雰囲気がある。昨今話題になっていましたが、よくない言い方をすれば、"伝統"とは少数派の武器にもなりうる。


まあ実際の詩吟はこれが現実です。詩吟を知らない人に詩吟を聴いてもらって「わからない」と曖昧な答えをもらったら、はっきり言って「まだまだ全然詩吟ができていない」と自覚してください。(これもまたギビしい……、それでも平気な人はどんどんやってください)


ただこれだけは言わせてください。


本当の詩吟は、歴も段位も関係なく、感動させることができます。


以前このブログにも書きましたが、詩吟を始めて間もない生徒さんが、友人の誕生日に、二人の好きな三国志に出てくる登場人物、詩人でもあった曹植の作った詩をサプライズでプレゼントとして吟じたら、泣いて喜んでくれたという話があります。


どういうことかと言うと、結局、人に聴いてもらうというのはコミュニケーションですから、相手がどう思うかを考えなくてはならない。ということです。どんなに上手でも、迷惑になるようだったらやるべきではないのです。あるいは、そういう雰囲気ではないときとか。


三国志の詩もそうですが、詩吟では有名な詩を吟じるのが絶対条件です。 それは聴く人がその詩を知っているということです。つまり、相手が詩を吟じている、それを聴いている、という行為から詩を共有している。いい詩だな〜と一緒に味わう。心と心が結びつく。


かつて江戸時代では、とくに幕末には、藩を越えて協力し合い、明治維新という革命を起こしました。各地方出身者はそれぞれの国のなまりがあって、話が通じにくいこともあったと推測されます。


そんな中、漢詩は共通言語でした。その志を共にするような詩を吟じ、交流を深めていった。それは日本だけにとどまらず、中国に渡った高杉晋作は漢語を書いて、大陸の人と会話をしたそうです。漢詩はアジアの共通言語でもありました。これは仲良くなれるツールでもありますが、知らないことを知ることができる、井の中の蛙から脱することのできる大きな力にもなります。


室町・戦国時代から、武士が謡をたしなみとしていたのも、共通のワードを持つということが要因の一つだったようです。


70年も前になりますが、戦前戦後の今より詩吟が日常にあった頃は、みな詩の内容がわかっていたので聴けたという、詩を共有するという自覚があったのではないかと思います。


では今、有名な漢詩や和歌や俳句が日常ではない現在においてはどうすればいいか。ここで私が考える、「詩吟を人前で吟じる時のマナー」を三つお話しします。まず一つ目です。


・詩の内容を解説してから吟ずる


こうして詩を共有してからですと、がぜん詩吟を聴く方も楽しんで聴くことができます。二つ目は、


・ことわりをいれる


「詩吟を始めてまだ少しなのですが……」とか、「こういう気持ちで吟じます」 とか、謙虚な態度でいれば大目に見てもらえるかも。最後三つ目、


・なるべく語り継がれている詩を吟じる


自分で作った詩を吟じてもいいとは思いますが、名作や詩吟を馬鹿にするような形にならないように注意しましょう。


一昔前は「詩吟なんて高尚な趣味ですなぁ。」と馬鹿にしてるともとれる発言で、少数派で古臭くなってしまった詩吟は足蹴にされていました。そして、それを逆手にとったのがエロ詩吟ですね。なんたる冒涜!と憤慨するかと思いきや、やってるこちらは詩吟を「高尚」なんて思っていない。しかも、現代の視聴者はもともとの詩吟を知らないので、別の笑いになっている……という。って考えすぎか……。


そんなことより、名作を吟じる利点はいーーーーっぱいあります。


まず知らないことを知ることができる。教養になる。と言っても最初は詩の意味なんてわからなくて当り前です。声を出すこと、少しずつ詩吟独特のメロディを体験していくだけで充分面白いです。気づいたらいつの間にか世界が少し広がっていた……なんてことも。


あと最大のポイントは、多少詩吟が完璧でなくとも、名作を吟ずるといい感じに聴こえる(!)ということです。「名詩の力」を甘受できるのが詩吟の美味しいところです。


というわけでいろいろ述べましたが、こうしなければいけない、なんてことはありませんので、参考にしていただければいいかな、と思います。


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