ユーラシア大陸最西端ロカ岬で詩吟を吟じよう

詩吟を始めてもうすぐ1年になる生徒さんが、お仕事で行かれたというポルトガルのロカ岬(ユーラシア大陸最西端)にて、詩吟を吟じたビデオレターを送ってきてくれました。西の果てから東の果てへ。その勇姿をご覧ください!!


吟じているのは「べんせいしゅくしゅく〜」で有名な、頼山陽の漢詩「不識庵機山を撃つの図に題す」です。タイトルを言い間違えていますが、試験でも何でもありませんのでそこはご愛嬌。それよりも、外国の素晴らしい景色の中で、気持ち良さそうに吟じられています。


帰国されてから、彼女に「周りの反応はどうでしたか?」と尋ねたところ、「ほとんど気ならなかった」 とのことでした。確かに屋外で吟ずると、室内と比べて音がはね返らず、外気に吸い込まれるような感覚があります。


もしくは、声が風に乗って飛び、どこからともなく聞こえてくるような不思議な状態です。


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外国で吟じたと言えば、別の生徒さんで、お身内が亡くなられ、ドイツのライン川で散骨をされるとのこと。せっかくなので、そのライン川でお別れの詩吟を吟じたいということになり、急遽、中国の王維によるお別れの漢詩「元二の安西に使いするを送る」を稽古したことがあります(著書『詩吟女子』の中でも詳しく紹介しています)。


この詩には、「無からん 無からん 故人無からん」というフレーズがあり、まさに故人へのそれぞれの思いをその場にいる人たちと共有できるもの、と私は思っています。


実際の漢詩の内容は、故人とは「古い友人」の意味で、 西の果てに役職(戦争)に行って
もう二度と会えなくなってしまうであろう古い友人に向けての別れの詩です。


詩吟として日本でも古くより愛されていて、ナチュラル詩吟教室の生徒さんも好きな方が多く、「お葬式の後吟じたら喜ばれた」 とか、「父のお墓の前で吟じてきました」といったご報告をいただいています。


先のライン川の方には、帰国されてから「どうでしたか?」と伺ったところ、「とてもよかった」とのことでした。みんなしみじみしていた、と。


ご本人がどういう思いで、また周りの方がどういう気持ちで詩吟を吟じたり聞いていたのかは私にはわかりかねます。


しかし、そもそも、お別れの際に歌を歌うというのは万国共通のことなのかもしれません。お経もそうですし、お墓の前で歌っている様子をよく外国映画でみます。


お別れの歌に限らず、外国で詩吟を吟じている風景を想像すると、不思議ととても自然で馴染んでいるように感じます。上記のビデオレターも、日本の古い歌を歌っているからといって、特に違和感ありません(その勇気には感服いたしますが)。


これは、日本の歌を歌えば、外国人の方が珍しがってくれるという単質の発想とは無縁の世界です。


詩吟を外で吟ずること事態に、何かもっと深いつながりがあるのではないか、と考えています。


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そもそも詩吟は民族音楽であるということ。


なぜなら、詩吟のメロディは民族音楽として捉えると、他の国の民族音楽に、音階も喉の鳴らし方も、声の張り方もよく似ているからです。(テレビで見たのですが、チベットとか南アメリカの最南端の歌が詩吟とそっくりで思わず号泣したことがあります)


人が亡くなったときに歌うものだったり、そうした生活に根付いた歌が、地球の裏側同士で長い年月を経て伝えられてきた大切なものとしての歌を、共有しているのだと思います。


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余談ですが、未開民族のうちで最もプリミティブな生活をしているヴェッダ族は上手に合唱することができないそうです。そもそも裸で生活してるし定住するための家も持たない。


どんなときに歌を歌うかといえば「ジャングルを歩いている時、象に逢わないように唱える歌」だったり、「死神をよける歌」だったりするわけなのですが、どれも同じメロディに違う文句をつけているだけだそう。


つまりは、まるで詩吟と同じなのです。

 
なぜなら、詩吟は、漢詩だの和歌だの俳句だの、七言四句だの五七五七七だの五七五だの、同じ数の言葉の歌を言葉だけ変えて、同じメロディで歌います。


極端な話、意味は違えどメロディが同じなので、やっていることは未開人のヴェッダ族と変わりありません。


結局何が言いたいかと言うと、未開人とは現代人の祖先であるからにして、


「人間は誰でも結局一種類の歌しかしらない」


ということです。


もちろん、そんなに言い切れるものではないでのすが、ここでいう”歌”とは、いわゆる歌よりも、ある種、生々しく、毒々しい、かつ澄みきっているような世界なのです。


嬉しくもあり悲しくもある世界も一挙に背負っているただひとつのメロディ。


だからこそ、詩吟が、お祝いの席でも、お別れの席でも吟じることのできる不思議な音楽なのだと感じます。


それはつまり、


歌が、その古典的メロディが、人の生きる術のひとつ、であったということ。


そういう歌は否が応でも身体から離れない。


それが、伝えていくべきものとして受け継いできたものであって、


どうにかして、伝えていきたい。


そう思っています。


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