30才のつもりで吟じてます!

「ナチュラル詩吟道場」終了後の飲み会。これもまた楽しみのひとつ。


「30才のつもりで吟じてます! 」


2015年から月に1〜2回の頻度で「ナチュラル詩吟道場」なるもの開催するようになり、毎回10名以上の方にご参加いただいていて、先日3回目を終えました。


この「ナチュラル詩吟道場」とは、みんなでひとつの詩を声を揃えて吟ずるというもので、それこそ武術の道場の型稽古をみんなで揃って、「エイ!エイ!」とやっているイメージです。


マンツーマンレッスンが中心の通常のナチュラル詩吟教室では味わえない、大きな流れの中で吟じていく、ということと、初めての人も参加しやすい、というのがテーマでもあります。


また、みんなでひとつのことをやっていると、ダイナミックな気の流れが発生して、多くの中の一人として自分を俯瞰することができる。この俯瞰する力をつけるということが、例えば普段の生活で困難な状況に打ち当たってしまったときにも、冷静に状況を把握する力をつけることができる。


つまり、生きる力をつける(武術でいうところの身を守る)ことに繋がるのだということを、かつての日本人は稽古として行っていた。ということは、現代のこの不安の多いご時世にもきっと役に立つという確信をもってやっています。


まあ難しい話しはさておき、道場終了後に、みんなで飲みに行く飲み会(自由参加)を毎度やっているのですが、これがまたとんでもなく楽しくて、道場開催の楽しみのひとつになっています。


参加者は、年齢が20代から70代まで、男女も職業もバラバラで、ほとんど全員が普段会わないような人ばかりなのですが、詩吟という共通の趣味でもって、ワイワイがやがや言いながらお酒を飲んでいます。


たいていは詩吟と関係ない話しで盛り上がり、普段聞けないような話しが聞けたりと大変面白いのですが、詩吟飲み会なので、どうして詩吟に興味をもったか、今後どうしていきたいか、という話題もしています。


先日の飲み会では、70代のある生徒さんが、


「30才のつもりで吟じています!」


と言って、場を沸かしてしました。


「またまた〜」という和やかなムードになったのですが、その言葉を横耳で拝聴した私は心の底から感動しました。


なぜなら、年齢を重ねてくると、いろいろとできなくなったり、若い時の覇気がなくなってきたりすることを実感するもので、つい、(中年の私が)自分より若い人に対して、「若いんだからがんばって!」と言ってしまいがちです。


言う方は励ますつもりなのですが、言われた当の本人は、「まだ何も知らないのに期待されても困る」と感じるかもしれません。また、「そちらはがんばらないのか?」と残念に思ってしまうかもしれません。


しかし、今回、70代の彼が、「30才のつもりで吟じています!」と笑いながら言っていた。


かく言う私は現在33才。「私より若いじゃない!負けてらんないわ! 」と元気をもらったのでした。


そんなこんなで今回は、詩吟における年齢についてのお話をしたいと思います。


***


詩吟に適正年齢はあるのか?


私の所属する流派で毎年行っている新人発表会という、初伝以下の方が参加できる発表会があります。コンクール形式で上位三名が決められたりして、とっても意気揚々とするものです。


その中でも、番外編として、参加者の70才以上にはがんばったで賞的なものがありました。しかし、その年は、参加者のほとんどがそれに該当するという事実を目の当たりにして、どうしてだろうと素直に疑問に感じたことがありました。確か私が20才くらいのときです。


師匠である母に率直に聞いてみました。「どうして詩吟は高齢の方が多いのか」と。すると、「道具もいらないし、手軽にできるからじゃないの。」と言っていました。


しかし、若い、同世代の人も楽しめる条件としては、同じではないかと考えました。


詩吟の最高の魅力のひとつに、どんな年代も、死ぬまで、誰にでもできる、ということがあります。しかし、だからといって、その楽しみ方は人それぞれですし、大雑把に分ければ、年代によっても変わります。


だからこそ、各々の世代の楽しみ方を大切にしていきたい。


私がこのように思うのには理由があります。


なぜなら、詩吟は長い人生経験を経なければ味わうことのできない、詩心を声に出して味わう、という楽しみ方があるからです。


そういう視点でいうと、30年そこそこしか生きていない私などには到底達成できぬ世界なのです。


しかし、なぜやるか。


それは、声に出して吟じることが、とにかく楽しいからです。


それともう一つ、なんとか、詩と、自分の普段の生活との共通点をみつけるようにしてやると、詩吟を知らない人とでも思いを共有することができて、生きる喜びのようなものを感じることができるからです。


私が季節ごとや、送別会や、こんなときにはこれを吟じたい、というのにこだわるのは、そういったところからきています。


しかし、全ての詩を自分の経験と重ねながら味わう、という領域にはとても達していません。それでもいろいろやってみる。もしかしたら後々、人生を経ていくうちに気付くようになれるかもしれない。


そういうことも含めた上で、わからなことばっかりだけど、何だか面白いからやってみる、続けてみる、という未知の楽しさがある。


それはそれで、詩吟を通して、今しかできないことがある。


詩の理解なんてさっぱりだけど、声を出すのが気持ちがいいし、身体に良さそう!とか、日本の伝統芸能かっこいい!という思いで始めた比較的若い人や、 同世代だったり、同じような思いの人が集まって、その思いを共有することが本当に大切なことなんだなあと、改めて感じています。


詩吟のグループに高齢者が多いということは、同世代が多いわけですから、思想も話す話題も共通項が多いのではないでしょうか。それに習って、私たちも、思いを共有するということをやっていきたいと思っています。


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最近では、4才の女の子がお母さんと一緒に習いに来てくれています。それこそ、共有する仲間はいませんが、新しい言語を身につけていくが如くにスポンジのように吸収していってくれます。


詩心がわかるかわからないかは別として、好きなものを吟じる時はとにかく楽しそう。お母さんもこんなに大きな声が出るなんて、と目を丸くしています。


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今度中学二年生になる女の子は、さいたまから渋谷に来てくれています。月に一度のレッスンですが、飛躍的に上手になっていく。詩吟が、生きることを経るごとに深みを増すということが、こういうことか、と感じる瞬間でもあります。


その子との与太話で、声は空気の振動で人に伝わるんだよ、という話しをしたら、学校で習ったと言っていて、つまり詩吟をやると石ころも動かせるんだよ〜と 言ったら、突如、消しゴムを私の前に置かれてしまいました。さすがに消しゴムを動かすことはできませんし(石ころも)、この時ばかりはメンツが立たず。。


でもね、今までできなかったことに挑戦しようとして、とにかく楽しんでいる。これは年齢問わずして、生きる喜びのように私は感じます。



***



あの道場から数日後。


「30才のつもりで吟じています!」という70代の生徒さんのレッスンがありました。ひとしきり「30才のつもり」話で盛り上がった後、


「明日誕生日なんです。でもね、正式には明日じゃないんです。」


とのこと。


しばらく、どういうことかな?と首を捻っていたところ、


「私の誕生日は、2月29日なんです。」


と言われました。


なんと、うるう年生まれだったのです。


ということは、つまり実年齢は30才よりずっと若い(!)ということです。


あながち、「30才のつもりで吟じています!」も嘘ではなかった、という。。



とかく、詩吟に年齢は関係ない、ということです。




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